受験は初めての成功体験を掴む絶好の機会

剣豪の宮本武蔵は60余回戦って一度も負けたことがないそうです。なぜ、負けなかったのか。

1つに彼は一度も勝てない勝負をしなかったのです。相手の状況と分析、試合会場の地の利を考え、決して「勝てない」勝負をしませんでした。同時代の剣豪として知られる柳生宗矩等とは戦いませんでした。吉岡一門数十人との戦いも、必ず勝てるという状況(場所)の確証を持って戦いました。有名な巌流島の決闘では、相手の佐々木小次郎が「物干し竿」と呼ばれる長大な太刀を使うと知り、舟のオール(櫂)を削って長い木剣で戦いました。気が短いという情報もリサーチして、敢えて遅刻しました(他に「燕返し」封じ等もあります)。もちろん、「今度ばかりは勝てないだろう」と周囲に思われる状況もあったことでしょう。ただ、自身を信じ、勝利を確信すると、入念すぎるほどの準備を怠りませんでした。もちろん命のやり取りですから「必ず勝てる」と見込んだ試合しかしません。それは甘い考えからではなく、当時の常識を超えた練習量が物語ります。毎日数千本の素振りや負荷の高い独自のトレーニングを欠かさなかったようです。

そんな武蔵も初めての試合はどれだけ緊張したでしょう。13歳のとき、有馬喜兵衛という新刀流の兵法者との試合。真剣での勝負だったにも関わらず、有馬を取っ組み合いで投げ飛ばし近くの河原の石(または木の棒)で頭部を強打して勝利したそうです。少年武蔵は無我夢中でした。偶然の勝利とも言えましょう。「勝負とはきれい事よりも勝つこと」と学んだのです。もし、この試合で彼が敗れていたら(仮に生きていたら)、彼のその後の連勝記録は果たしてあったでしょうか。

初めての困難はその後の試練を乗り越えるのに、大きな力や経験となります。「あのとき乗り越えられたのだから、今度だって」という自信につながります。故に、最初の経験は多少親心が勝っても、勝たせてあげたいというのが私の本心です。ただし、「楽をして勝つ」というものではなく、「少し頑張れば、乗り越えられる」という程度が良いかと思います。無謀な挑戦というのは、長い人生の中で1度や2度は経験してもいいと思いますが(もちろん努力はしてです)、最初の挑戦にはお薦めできません。長く生きていると、(皆さんはあまり知らないだけで)努力だけでは乗り越えられないような困難な試練が多く訪れます。

さて、受験です(試験を受けるものに限定します)。勝算はありますか。その根拠を明確に説明できるでしょうか。たとえそれができても、勝利を勝ち取れない人が多くいる人がいることを忘れていませんか。あなたは彼らよりも努力できる自信と、有利な条件や勝算を持っていますか。

私は、皆さんが初めての受験で失敗し「努力しても報われないんだ」と学問(=希望)で思わせたくない気持ちが心なしかあります。たとえ起きている時間すべてを勉強に費やしたとしても、勝てる条件がなければ勝てません。戦略を立て、勝算はあるでしょうか。まして、公立高校受験は受験者の条件がそれぞれ違います(内申点の違い)。長い人生を考えた場合、あなたが受験後も何らかの形で学び続け、生きがいを感じられるような好きな仕事ややりがいに巡り会い、楽しく生きていけることが最も大切ではないかと思います。

人生は長い。あなたが思っているよりも、はるかに。受験は一時ですが、その後の人生に与えるは影響は非常に大きい。受験後の人生のほうが長いゆえに、たかが一時の経験が大切なのです。

そう考えた場合、“努力が報われる初めての成功体験”をいつ、どのように積むか。ロングスパンで考えて選ぶのは、あなたです。私たちはアドバイスしかできません。

私たちはあなたが熟考の末選んだのだとしたら、最大限のサポートをさせていただきます。ただ、無謀な戦いには賛同できません。どれだけ努力しても、何十年と受験に向き合ってきた私たちは、奇跡が起こりうる可能性すらうっすら分かっています。

どうせダメなら私立でいい。2次募集がある…。それとは別次元のことを言っていることは分かって頂けると思います。1つの挫折で、大きく人生を狂わせてしまうことだってあるのです。それが原因で、以降学ぶことすら止めてしまいかねない。それが初めての挑戦なら尚更です。「不合格」という烙印がどれだけその後の人生に重くのしかかるか。それは夢想だにしないものです。

自分という人間を、自身が置かれている状況を一番知っているのは、あなた自身です。自分と(当然日頃サポートしてくださっている家族とも)、時には自身の強さだけでなく弱さにもしっかり向き合って、進路をしっかり考えていきましょう。

「選択」とは、それくらいの覚悟が必要だということを忘れないで欲しいと思います。

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